コーヒーハウスハードボイルドオクトパス

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「ウイルスの意味論」の書評と読書感想

それは,,ある晴れた日の出来事でした.(嘘だ曇ってただろw)

ワイは不要普及の外出をし,何時もの書店にいつものように何の目的もなくたち寄りました.

すると,SARS-CoV-2の流行のせいなのかお店の陰謀なのか,はたまたその両方かは分かりませんがタイトルの『ウイルス』+『意味論』という単語の組合せと黄色い表紙が突然目に入ってきてワイの頭から離れなくなったのです...そして意識を失い...

気がついたら,ワイの財布から約3000円がなくなり,右手に「ウイルスの意味論」が握られていました.

 

ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在

ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在

  • 作者:山内 一也
  • 発売日: 2018/12/15
  • メディア: 単行本

そんなこんなで, 元々2番目の記事は「量子計算って何やそのケッタイなもんおじさんと考える,ビットコインと量子耐性」の予定でしたが,先にこちらの書評を投稿する事にしましたw

ウイルスを過剰に恐れたり,甘く見たりする事は防げるかもしれませんが,新型コロナ対策に関する見解ではない事だけは注意してください.(ワイの生物や有機化学の成績は赤点でした)

 

また前置きが長くなりそうなので,さっそく本題に入りたいと思います.

前置きが長いのは,関西人の悪い癖ですね...

 

みすず書房の本全般にそういう傾向はあるとワイは感じていますが,目次が非常に魅力的です.

ワイが最も興味を持った章は「体を捨て,情報として生きる」でしたが,いきなりこの章に行きたいという欲望を抑えつつ最初から順番に読み進めました.(タコ頭は我慢できる良い子デスねぇ)

ウイスル研究がタバコモザイク病から始まった事,動物に感染する物では口蹄疫が最初だった事.

初めは細菌が病気の原因だと思われていたが,非常に目の細かい微生物フィルターを通過してもなお病原体が残ってしまい,それをウイルスと名付けた事.

1930年代の電子顕微鏡の登場まで,粒子なのか液体なのかすら分かっていなかった事.

ウイルスは細菌より小さいモノと思われていたが,21世紀に巨大なウイルスが発見されてしまい,上記の流れと合わせて中々人類のウイルス研究は波乱であった事がわかる内容になっています.

ここまでの2章分でも随分ドラマチックで,買ったかいが有ったと思える内容でしたが,ここからがどうも本番のようです!

3章「ウイルスはどこから来たか」から人間側の苦労からより深いウイルス側の研究そのものの話しに焦点が移っていき,ワイの知的好奇心を盛大に煽ってくるのです.(いや〜タコ頭も随分茹でがってまいりましたよ!)

この3章と続く4章は,ウイルスよお前は何者なんだ?お前は生命なのか..いや,生命ってそもそも何なんだという極めて哲学的な章で,おそらくこの本のメインディッシュなのだとワイはとらえました.従って,是非買って読んでくださいとだけ書いておきますw

さていよいよワイが最も読みたかった第5章「体を捨て,情報として生きる」に突入をします.

通常の生物はDNAをRNAに転写し,RNAからタンパク質が合成される仕組みになっているらしいのです.

この仕組み極めてコンピュータのコードから,実行形式が作られ,それがメモリに展開され実行される流れに似通っていて興味深く読み進めました.

そして,ウイルスというのはコンピュータウイルスがターゲット自身のCPUを誤動作させるが如く,宿主の細胞からタンパク質を合成するメカニズムをのっとり自己の複製を製造させるだけのものと考えられていたようです.

ところが...

おっと,読書記録ではなく書評なので,ここまでにしておきましょう.

この後もゲノム編集等の新しいトピック等も交え,人間社会との関わりや人間にとってのウイルスの有用性等中々面白い展開になっています.

ウイルスは訳の分からない非常に恐ろしいものと捉えられているのではないでしょうか?

本書を通じて,研究者の努力やウイルスの個性豊かさに触れ,この様な状況下に希望を感じる事ができるのではないでしょうか?

では,第3章「ゆらぐ生命の定義(P72)から,アリストテレスの言葉の引用を引用して締めさせて頂きたいと思います.

『自然は生物界から無生物界まできわめて徐々に移りかわっているので,両者の境界線は疑わしく,おそらく存在しない』